千々和 保

千々和 保さん近影

システム・エンジニアから一転自然相手の農業で収穫の喜びを実感

プロフィール

千々和 保(ちじわ たもつ)さん/昭和43年、東京都中野区生まれ。大学卒業後は三菱電機に就職。平成8年に退職し、同僚であった由起子さんと結婚。同時に熊本市へ移り、南阿蘇村のぽっこわぱ耕文舎で農業研修を受ける。平成10年春に独立し、南阿蘇村で1.5haの「千々和ファーム」を経営。有機農法による野菜と鶏卵を、会員向けに宅配している。奥様と2人の子どもとともに、南阿蘇村で暮らす。

きっかけ

飼料用のとうきび畑の見廻りの写真子どものころから我が家にはパソコンがあり。パソコンは得意分野。情報工学に進学した大学卒業後は、神奈川県にある三菱電機にシステムエンジニアとして勤めていました。しかし、システムエンジニアになりたいと強く思ったのではなかったので、3年間は会社勤めをし、その間に、本当にやりたい仕事を見つけようと思っていました。それが農業だったのですが、特に劇的な出会いがあった訳ではありません。高校の同級生が帯広畜産大学に進学したことで、都会の高校からでも農業分野への進路があることを知りました。農業にはよいイメージを持っていたので、これまで経験してきた様々な要素が加わり農業にたどり着いたという感じです。

会社を辞めると同時に結婚し、熊本に引っ越して、数ヶ月は彼女の実家に居候。まったく農業経験がないので、どこかで研修しようと考えていました。ちょうど そのころは新規就農者の支援が盛んで、当時は県庁に就農支援センターがあり、受け入れてくれる農家を紹介してもらいました。その中に、南阿蘇村でバイオダイナミック農法を実践するドニー・ピリオさんの農園「ぽっこわぱ耕文舎」がありました。そこで1年半研修を受け、平成10年の春に独立しました。現在は、 農薬、化学肥料を使わない自然農法での野菜作りと、平飼いで養鶏を行っています。収穫した野菜や卵は、30~40名の会員に向けて宅配しています。

阿蘇での暮らしや農業など

実際に農業に携わって思ったのは、日々、作業に追われるということ。キビキビ働かないとやっていけないと思いながらも10年経ってしまいました。でも、仕事の楽しさは想像していた通り。ますます楽しくなっていきますね。
SEをしていた時は、仕事を結構”なめていた”ところがあったと思います。しかし、自然が相手の農業は、自分の五感で観察してやらないとできないことが多く、大変難しいのですが、やりがいがありますね。
また、宅配はお客さんとのつながりも強く、コンスタントな購入が農家をサポートしているという認識も持っていてくれるようです。農家同士の交流も盛んで、代々農業を続けてきた人たちは、新規就農を仲間として受け入れてくれます。これは、先駆者の方たちの実績があるからこそだと思います。その恩返しではありませんが、農業従事者の高齢化が進んでいるので、農業関係の仕事や地域の役割をなるべく引き受けるようにしています。

今後の夢

約140羽の鶏を飼育する様子卵も野菜も、特別なものではなく、まっとうな物を作っていくこと。烏骨鶏の卵や漢方薬を混ぜたエサを与えた卵などではなく、有機野菜や有機のエサを与えた卵の方がよっぽどいい物じゃないかと思うんです。野菜も同じです。まっとうに栽培し、おいしい作物を毎年作っていくことが、いまのささやかな望みです。
阿蘇は僕にとっては特別な場所。磐梯山などの福島の山を見て育ったこともあり、山が遠くで見守ってくれている感じがして落ち着きます。北海道の友達が一度遊びに来てくれたんですが、雄大な北海道に住んでいる彼の目からしても阿蘇の景色は特別だと言ってました。もし、農業を途中で辞めてしまうことがあったとしても、阿蘇にはずっと住んでいきたいですね。

  • このページの原稿と写真は公益財団法人阿蘇グリーンストック発行「草原だより Vol.42」より抜粋いたしました。
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