1840年にタンパク源の確保のため、黒川に菊池川の川魚(ナマズやカマズカなど10種類)を放流しました。様々な試行錯誤の末、川魚が定着し、当時の阿蘇の貴重なタンパク源となったそうです。現在は、この功績を称えた石碑が残っているのみで、後世に伝え残したい阿蘇の農文化です。
1840年にタンパク源の確保のため、黒川に菊池川の川魚(ナマズやカマズカなど10種類)を放流しました。様々な試行錯誤の末、川魚が定着し、当時の阿蘇の貴重なタンパク源となったそうです。現在は、この功績を称えた石碑が残っているのみで、後世に伝え残したい阿蘇の農文化です。